父が亡くなった時のこと

 

父が亡くなって、もう30年近くたつのかと、時の速さに驚愕する。

新しい命を望む一方で、失った命に思いを馳せてみる。

 

私の父は平成2年の2月に胃がんで亡くなった。父が享年40歳で私は9歳だった。

 

冷凍食品を扱った会社のサラリーマンだった、お父さん。

お母さんが言うには、上司とそりが合わずストレスを溜めていたらしい。

私も仕事で上司とそりが合わないことが多かったので、父親譲りの性格なのだと思う。

そしてストレス解消も下手な人だったみたいだから、若さも手伝って胃がんが進行してしまったみたい。

 

お父さんの胃がんは大阪では治せず、東京の有名な大きい病院に転院した。

それに伴って、私と母と兄は神奈川の親戚の家にホームステイさせてもらっていた。

子供心に治るだろうと思っていたから、初めて身近な人の死に直面して驚いた。

延命のチューブが多く、あまりに痛々しい弱った父の姿が悲しかった。

親戚の誰が言ったか覚えていないが、今でも脳内で再生できるセリフ。

 

「まだ、あったかいよ・・・?」

 

お父さんの手を優しく握りながら、涙声でそうつぶやいていた。

 

思い返せば父の容体が急変したのは夜中だったので、私と兄はベンチで仮眠をとっていた。

いきなり私や兄が慌てた母に起こされ、寝ぼけ眼をこすりながら病室へと向かった。

 

処置をしたけど、もう手遅れ。死に目には出会えたから良かったのだろう。

心拍数がピッ、ピッ・・・ピーーーーーーーと悲痛な音を告げた。

 

「ご臨終です」

 

お医者さんは静かに、そう告げた。

 

命の灯が、消えた瞬間だった。

 

9歳の頃は、まだ死生観なんてものがわからないから、失ったということだけを感じるのが精いっぱいだった。

もともと私は母さん子で、父さんと会話した記憶が、ほとんどない。

だからお父さんが死んで悲しいと言うよりも、あぁいなくなってしまったんだって気持ちのが強かった。

逆に兄さんは父さんから口やかましいぐらい厳しくしつけられていたらしいので、喪失感も大きかったように思う。

父さんは女の子に、どう対応していいかわからなかったのかも。そんな私は放任育ちとなった。

父のことは嫌いではなかったが、ミステリアスで謎な人といった印象が、今でもある。

 

そんな私のイメージ通りのエピソードが死後、あった。

 

父の遺影は、胃がんに侵されているにも関わらず、年末のベートーベン第九の合唱に参加した黒い蝶ネクタイにスーツの姿。

私の母は知らされていなかったようで、カメラに残されていた写真を現像してビックリしたらしい。

父はプロ歌手ではないので、趣味の集まりのコンサートだったとは思うのだけど。

きっと余命わずかであることを悟った父は、最後に命を燃やし尽くしながら、魂の叫びを歌いきりたかったんだと思う。

うちは家族全員が音楽大好きだから、私がシンガーソングライターになったことは必然的な運命だったんだろうな。

 

父は、硬派で頑固。私の旦那様も似たところがあるから、やはり父親に似た人を好きになる説は当たっているのかもしれない。

 

もし無事に妊娠して安定期に入ったら、お墓参りで報告したいと思う。

お父さん、あなたは寡黙な人だったけど。

休日の日には家族サービスで、いっぱい旅行へ連れてってくれて本当にありがとう。

私は長生きすると思うけど、お空の向こうで再会したら生前は話せなかったこと、いっぱい話そうね?

 

人間いつ死ぬかなんてわからないから、なるべく毎日、大好きな人たちには惜しみなく愛情を与え、伝えていきたいと改めて思った。

そうして後悔しないよう、大好きな事をいっぱいやって生きて行ければいいよね。

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